FC2カウンター KONATSU’S LIFE RECIPE 2007年09月15日

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2007.09.15 13:04

今週は私にとって長い1週間だった。

9日、日曜日・・・朝から体がダルくて、肩も凝り、頭がモヤモヤしてた。2日酔い?って思ったけど、そうなる量は飲んでないし・・・午後から、家族と買い物に出かけて夕方帰宅すると、現地校のNancyと同級生の子のアメ人のママがうちに来た。”何の用だろう?寄付かな?”と思って、ドアを開けると、”Mって知ってるよね?あなたと友達だと思うけど。明け方、3:00に亡くなったのよ。”って。”??M?MってMちゃんのママ?亡くなったって?何で?”
頭の中は真っ白・・・先週、具合悪いって聞いてたけど、こんな突然に?うそでしょう?信じられなかった。でも、とにかく、みんなに知らせなきゃ・・・日本人でMと親しかった友人に電話。最初は冷静だったけど、悲しみがわいてきて、最後のほうは、取り乱してしまった。

Mは私がアメリカに来て最初に友達になったアメリカ人。今までの日記で何度か登場してたと思う。アメリカに来てすぐに、KopanとNancyが現地校に通うことになり、特にNancyは英語もしゃべれず、不安でいっぱいだった。アメリカは学校が始まる前にオープンハウスみたいなのがあって、自分のクラスへ行き、担任の先生にご挨拶をする。その日が、Mとの出会い。英語もしどろもどろで先生と話を終えた私とNancyの所に、Mがやってきた。”あなた、日本人?私は日本人の友達がたくさんいるのよ。私、日本が大好きなの”と声をかけてきた。
Mの娘さん、MちゃんもNancyと同じクラス。Nancyが午後キンダーでMちゃんが午前キンダーだったのに、校長先生と担任の先生と交渉してくれて、Nancyを午前キンダーにしてくれたのだ。英語のしゃべれないNancyをMちゃんが助けてくれるからって・・・すごくうれしかった。いきなり親切なアメリカ人に出会えてラッキーって思った。M母子は、2週間泣き続けたNancyを助けてくれた。私にもボランティアを勧めてくれ、一緒にボランティアをした。NancyもMちゃんと仲良しに。
ちょっとしてから、Mが日本人のお子さんやお母さんに英語を教えてるチューターだと分かり、年明けから、私も週に一度教わることに。午後からだったので、Mちゃんも一緒に来て、Nancyと遊んでもらえた。Mとは日常会話はもちろん、学校や生活のことで分からないことを質問したり、Nancyが歯が抜けそうなときに、ドアノブに糸を引っ掛けて、歯を抜いてくれたり、NancyのBirthday Partyのヘルプをしてくれたり、本当に色々お世話になった。リンゴ狩りやハロウィンのパーティも思い出。
NancyがHip Hop ダンスをやるきっかけを作ってくれたのもMとMちゃん。Mちゃんは、バレエ、タップ、アイリッシュダンスなど、とっても上手で、Hip HopもNancyと始めて一緒にショーも出た。

いつもお世話になったMだけど、Mは持病やアレルギーを持ってて、具合の悪くなる時が時々あった。私の家で英語の勉強中に倒れた時もあったし、ダンスの日に、Mちゃんのダンスの送迎を頼まれたこともあった。Mの具合は天気に左右されることが多くて、悪天候の日はMの調子はよくなっかった。でも、病院に行って、点滴や薬を処方されると、元気になった。だから、先週、具合が悪かったのも、また、いつものことかな?って軽い気持ちだった。
現に、金曜日に病院に行くMに手を振った友人もいる。私も先週は学校で挨拶を交わした。しかし・・・土曜日の夜中に容態が急変し、救急車で運ばれた。薬が効いて容態が安定して、もう大丈夫とのことだったので、ご主人とMちゃんは深夜2:00に帰宅。その1時間後、病院から”たった今、亡くなりました”の電話。死因は肺炎だった。でも、詳しく調べるのに病理解剖をするような話も聞いた。その後の結果はまだ分からないようで、真相は分からない。もともと、Mは心臓も悪かったそうだし、何か薬のアレルギー?とも考えられる。でも、帰らぬ人となってしまったのには変わりない。

訃報を聞いた初日は実感がなかった。2日目・・・月曜日には現地校からMの訃報を知らせる手紙をKopanたちがもらってきた。確かにMの名前が書いてあった。だんだん、悲しみがこみ上げてきて、水曜日までは何も手につかず、ボーっとしてると思い出し泣いてた。学校へ迎えに行くと、いつもMが車を停めるところの、Mの車がありそうだし、玄関のところで、”Hi,Konatsu、How are you?”って声をかけてきそうだし。この前だって、夏休みに何をしてたかって会話もしたばかり。Mは友達も多くて、学校のボランティアもしてたから、知らない人はいなかったと思う。みんながMの突然の死に驚き、悲しんでた。本当に突然だった。

水曜日の夕方にMの葬儀の日時の連絡が入った。木曜日がViewing(通夜)、そして今日がFuneral(告別式)。昨夜、家族でViewingに近くのChapelに行ってきた。日本の通夜と全く違ってた。赤やピンクのカラフルで華やかなお花がたくさん飾られてて、人もたくさん集まってて、ガヤガヤしてた。棺の中に眠ってるMと対面。安らかに眠っているようで、とてもキレイだった。部屋の周りにはたくさん、写真が飾られてた。2年前の夏、Mの家に日本から高校生がホームスティに来てて、一緒にディナーに行ったときの私達との写真も飾られてた。Mの結婚式のアルバムを置いてあった。TVで写真のスライドショーが流れていた。日本のようなしんみりした雰囲気ではなく、とても華やかで温かい雰囲気。
久々に見るMちゃんはとっても元気で、私達を歓迎してくれた。Nancyが”いつから学校来れるの?”って聞いたら、”来週の月曜日”と元気に答えてた。母親の死を理解してるのか?まだ、実感がないのか分からないけど、とにかく元気だった。ご主人のお悔やみの言葉を述べた。こんな時、英語が出来ないと本当に困る。でも、思いは通じたと思う。よく、このご主人と喧嘩した話とかMから聞いたのを思い出した。最後にMにお別れの言葉を告げた。

そして、今日、教会でのFuneral。友人の話では天気予報は雨だったらしいけど、Mの心のようにとっても晴れてていい天気。教会は日差しが窓から差し込み、とっても明るかった。ステンドガラスがキラキラしていて、素敵な教会だった。Mのお父さん、ご主人がご挨拶。ご主人がMの人生を最後まで涙をこらえて語ってくれた。Mは私と同じ歳で、誕生日は私の次の日。すごい偶然だ。
Mの人生は素晴らしかった。色々な人に尽くして、明るくて、みんなに元気をくれて、見習うことが多かった。異国の地で不安になっている外国人を国を問わずお世話してたし、年に一度、日本からの交換留学生のホームスティを受け入れてた。母親としても妻としても立派だった。
1時間弱でFuneralを終え、近くの墓地まで移動。Funeralの旗を車につけて、ポリスが誘導。赤信号でも止まらずに行ける。墓地で最後のお別れ。あっと言う間だった。

Mときちんとお別れするまでは、悲しみでいっぱいだった。このまま、立ち直れないかもって思うほど。友人からのメールで”周りの人が悲しみすぎると、魂は安らかに逝くことができないそうです”との言葉をいただいた。Mちゃんの前向きに頑張ろうとしてる姿を見て、私も頑張ろうと思った。Mと出会えたことに感謝し、Mの死が無駄にならないように、頑張ろうと思った。私がいつまでも悲しんでいる姿をMが見てどう思うか考えたら、このままではダメだと思った。Mとの出会いと別れをこの3年の間にしたけど、私の人生の中でこれからも生き続けると思う。安らかに眠ってほしい。そして、Mちゃんとご主人のこれからを見守ってほしい。

長くなりましたが、今回のことでご心配をおかけしたみなさん、色々とありがとうございました。改めて友達の存在に感謝する1週間でした。ありがとう。


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